「祈りのカルテ」2話、胃がんが消えたり、大きくなったり、鍵を解くのは孫にあった。
諏訪野は精神科の研修を終えて、外科に配属されたが、慣れないことばかりが続いていた。
そして、連日当直も行うので寝不足もあったが、それでも外科の研修を頑張って8か月が過ぎたころだった。
もうすぐ80歳になる男性が診断に来て、胃の粘膜の上に「がん細胞がある」と言われ、内視鏡手術を待つことになった。
コンテンツ
男性のがんが消えた謎
男性の名前は近藤玄三。来週80歳になる男性だが、離婚した娘と孫と3人で暮らしていた。
そして、他の病院の紹介できたが、冴木の診断は胃の粘膜の上部にある、ごく初期のがんであり、
内視鏡手術で、簡単に切り取ることができる。ということだった。玄三は家族共々喜んでいたが、
数日たつと、諏訪野に「私はがんではないから、手術はしない!!」と断言した。
なぜ自分はがんではないと言い始めたのか!?カンファレンスで報告しても、怪しい民間療法を始める気ではないか。
ということになった。そのころ、小児科で研修をしているみどりは、入院している男の子が注射から逃げ回ったり、
さちが病室を抜け出して、いつもICUで「死んでいく人の数」を数えていることに悩まされていた。
そして、諏訪野は冴木のオペの助手に付くが、関係ない話ばかりしながら、オペをすることに疑問を覚えたり、
最後の縫合の結びができないことに、疑問とふがいなさを覚えていたが、息子の冴木が、
オペ中に関係ない話しをするのは、普通のことでドラマのように真剣な場面はない。それは場をできるだけ和ませるためだった。
そして、研修医3人とオペの後の縛り方の練習をしていた。そして、玄三に次なる問題が起きた。
原作
「祈りのカルテ」
「祈りのカルテ 再会セラピー」
祈りのカルテ 再会のセラピー【電子特典付き】【電子書籍】[ 知念 実希人 ]
主題歌
『想花』
Kis-My-Ft2
胃がんが大きくなったから胃を摘出する
今までオペを拒否していた玄三が、次は「私は開腹手術を受けて、胃を全部摘出する」と言い出した。
カンファレンスでそのことを報告するが、諏訪野にも玄三が言っていることがころころ変わる理由がわからなかった。
そんな時、前に玄三とロビーで話していた、黒スーツの男を見かけた。一緒にいた玄三の同室の患者若宮が
「山田さん?」と言った。知り合いなのか!?と聞くと、前に検査があるのにジュースを飲んで検査ができなかった日、
山田さんがジュースをおごってくれたのだという。そして名刺を諏訪野に渡してくれた。
黒スーツの男は保険屋だった。若宮にも入院中にも入れる保険がある。と勧誘をしていた。
そして、若宮が病室にいないのは、玄三の孫が見舞いに来ているから、気を利かせているようだった。
一方で、毎日死んでいく人の数を数えるさちを、精神科の立石はみどりと一緒にある場所へ連れて行った。
それは、「元気になって退院していく人」を見せるために、それぞれの科で花を渡される人を見せるため、
様々な科をめぐり、元気に花を手にする人を見せていた。みどりは「1日に100人亡くなるかもしれない。でも元気に退院する人はその何倍もいる」
と、さちに語り掛けた。彼女はだれも見舞いが来なくてさみしいのかもしれない。だから死んでいく人ばかりを数えていたのかもしれない。
玄三の言動を解く鍵は孫にあった
諏訪野は黒スーツの山田さんが、玄三の言動に大きくかかわっていると考えた。
そして、玄三が加入している保険を調べると、「80歳まで保険料が支払われる」タイプのものに加入しており、
玄三が「早く手術してほしい」とも言っていたことにつながる。彼はあと数日で80歳になってしまう。
そして、彼の加入している保険では「上皮がん」に対しては保険料は支払われない。条件が付いていたのだ。
つまり、冴木が胃の「粘膜部分だけ」と診断したことで、保険金が支払われないと知り、
自分の胃がんはもっとひどくて、全部摘出しないといけないと言い出したのだ。
それはすべて、愛する孫のためだった。すべての謎が分かった諏訪野は冴木に話した。
すると、冴木は玄三と話し、「開腹手術を今週します」と言ってくれた。玄三は孫のために保険金が必要だった。
家の事情で大学進学をあきらめた孫に、お金を残してあげたかった。そんな理由だったが、
冴木は「これは緊急オペにあたいする」と判断して、オペの日を繰り上げる措置をしてくれた。
そして、胃を全摘出しなくても、胃のがん細胞とその粘膜の下を切り取るだけにとどめた。
その後病理検査をして、「胃の粘膜だけでなく、その下の組織まで少しだけがんが広がっていました。」
と玄三に報告した。つまり、玄三が粘膜から進行した「胃がん」であると、診断を変更した。
これにより保険金が下りることになった。諏訪野は本当にそんな診断だったのか、疑問を覚えたが、それに冴木が答えることはなかった。
そして、次の研修先は「産婦人科」となったが、あいさつもそこそこに臨月の女性が目の前で倒れた。
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