大沢たかお主演日曜劇場再放送2009年「JIN-仁-」江戸に蔓延するころりに立ち向かう仁。

すこし、ドラマの進行とは前後してしまいましたが、現在世界中に「コロナウイルス」が蔓延し

新薬の開発が急がれるところですが、いつの時代も【原因不明】の伝染病というのは存在しました。

仁が体験したのは「ころり」

実は4年前にお世話になっている橘家の当主咲たちの父もころりで亡くなっていました。

しかし、この時代には治療法はなく、ただ苦しみ衰弱し亡くなるのを見守るしかなかったのです。

 

コンテンツ

ころりこと、コレラ菌とは?

江戸の時代【コレラ】はころりと言われ、恐れられていましたが、その原因は分かりませんでした。

コレラ菌が口から入ることにより感染するのですが、一番の感染予防は「衛生環境をよくすること」

江戸の時代は、もちろん現代のように「衛生的な水」を手に入れることも難しい中、

食べ物に「必ず火を通す」という文化も浸透していませんでした。

そのため、コレラ菌に感染し、その飛沫から感染が広がっていくので衛生環境をよくすることの他に

「感染した患者を隔離すること」

この【隔離】が最善の方法なのですが、江戸の時代ではまだ知られておらず、家族内感染も頻繁にあったようです。

 

潜伏期間は5日ほど、そこから急激に症状が悪化し、1日に何度も下痢を繰り返し

【脱水症状】に陥ります。そして、早ければ数日で死に至ることもありました。

 

 

仁ころりに立ち向かう

現代にはもう聞かれない「コレラ」ですが、江戸では一般的な病気でしたが、治療法は確立されていませんでした。

そこで、仁は患者を「隔離」に踏み切りました。

赤いヒモを道にはりめぐらし、その中は立ち入り禁止となり、次々ところりに感染した患者が運ばれてきました。

【脱水症状】を食い止めることで、症状の改善を図ることができるので、仁はこの時代にはまだない

【経口補水液】を造り出すことに挑戦しました。砂糖と塩を使い、人間の体内の水分濃度と同じ水。

今で言うと

OS-1

ポカリスエット

アクエリアス

など、代用品はありますが、江戸にはありません。仁自身が水に材料を調合し

その配合率を色々試し、一番吸収がよいとされる「補水液」を早急に作り出す必要がありました。

それを、患者に飲ませ水分を補うのですが、「急須」で口から飲ませる方法しかありませんでした。

この時代に点滴などないため、口から補給してもすぐ戻してしまうというじれったい状況が続きましたが、

西洋医学研究所の緒方の弟子、山田がころりに感染したことにより、見たこともない施術をする

仁に賭けてみよう!と尽力してくれることとなり、注射針の製造。点滴の製造などを急ぎました。

 

おかげで、24時間患者に「補水液」を静脈から入れることができ、吐き戻しにより水分が失われることはなくなりました。

しかし、下痢症状は続き、その量に応じて点滴の量を変えていくのですが、

仁には限界が来ていました。受け入れても受け入れても、運ばれてくる患者に場所も、道具も足りず

死者も出始めたころ、咲がいても経ってもいられず赤線の中に入り、仁の助手として、点滴寳保などを学び始めました。

やっと、江戸の町からころりがなくなりかけた時、仁がころりに感染したのです。

 

 

初めてコレラを体験する仁

仁は現代に戻り、恋人に会いたいと願っていました。

しかし、どうやって江戸に来たのかもわからず、戻り方すらわかりません。

ころりに感染した中で、極度の脱水から意識を失い死を覚悟した時、「これで現代にもどれるんじゃないか」

と、ふと仁は思ったのです。しかし、咲はあきらめませんでした。

両腕の点滴でも間に合わない場合、体内に一番多く液体を運ぶ方法を仁から教わっていました。

 

太ももの内側へ点滴を施すことで、仁の体内には水分が送られ、咲の呼びかけもあり

仁は再び江戸へと戻ってきたのです。

仁の活躍により、江戸はもうころりを恐れることはなくなりました。

 

 

あとがき

きっと、今の時代に「JIN-仁ー」が再放送されたのは、人気が高かったドラマということもありますが、

江戸の時代に数多くある「未知の病」に、現代の医療を持って、当時にある道具を使い

立ち向かい、人々を救っていく。そんな姿が、「コロナウイルス」が世界中に蔓延するなか

見直されているのではないのでしょうか。

 

 

 

2009年日曜劇場「JIN-仁-」タイムスリップから江戸の名医となった南方仁

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