ドラマ「死役所」で取り上げられたなくならない児童虐待について

2019年12月4日放送のドラマホリック「死役所」では、母親から虐待を受け、最後にベランダに締め出されてしまい

雪の降る夜をベランダで過ごし凍死してしまった女の子にスポットが当たりました。

しかし女の子は「ママが優しくて大好き」と言って、大好きなママがしてしまった大きな過ちによって亡くなったにもかかわらず、ママをかばっていました。

現実の社会でも、毎日のようにというか本当に毎日虐待死のニュースが取り上げられています。

どうして虐待死はなくならないのでしょうか?

虐待死

親であれば、子供に対して「怒り」の感情を一度ぐらいは持ったことがあると思います。

自分の子供ですが、自分のコピーではなく、1つの「人格・性格・考え方」を持った立派な人間として生まれてきます。

だからこそ、自分の思った通りに相手が行動しない場合、怒りと言う感情がわき手を挙げてしまうこともあるでしょう。

ドラマの中でも言っていたように「自分の所有物」として考えている人には、この傾向が多いように思います。

自分のものだから何をしてもいい

それは違います。自分と全く違う人間なのです。そこをまずしっかりと認めないと虐待はなくならないと思います。

 

私自身の経験

私の友達は、自分の子供が生まれたときに「もう1人の自分ができた」と喜んでいました。

私も子供を産んだら、そんな感情が湧くのかなと思いましたが、生まれてきた我が子を見て「人間が生まれてきた」と思いました。

我が子が生まれましたが、自分とは別の人間が生まれてきたと思ったのです。

しかし成長するにつれ、自分と違う人間は扱いにくいことに気づきます。そして人格や性格がはっきりしてくるとより扱いにくくなります。

今ここで言うことを聞いて欲しい時に限って、泣いて騒いで周りに迷惑をかけたり、どうしてもやらなくてはいけない宿題等を嫌がってやらなかったり…

そんな中こみ上げてくるのは「親としての責任」です。親としてやらなくてはいけないと言う、焦りとともに責任感が出てきます。

結果的に、嫌がって泣く子供を、話を聞かせる体制にもっていくために、手を挙げてしまい黙らせることもしばしばありました。

それは我が子に、「自閉症スペクトラム障害」があるため、他の健常児の子供たちに比べ、話がなかなか伝わらないことも要因の1つです。

しかしだからといって、手を挙げて良いと言うわけではありません。手を上げていくうちにだんだんと見境がなくなってくることも確かにあります。

私はそうなる前に、自分から児童相談所に通報し、我が子を保護してほしいと頼みました。

児童相談所に自分で電話をかける事は珍しいかもしれません。でも自分の行動がエスカレートして、子供に大きな怪我をさせたりする前に、恥とか自分のプライドとかそんなもの関係なく捨ててしまい、

自分自身で児童相談所に通報するのも、自分の行いを改めることにつながっていきます。

子供に手を挙げてしまったから、それを児童相談所を知られるのが嫌だと言う人もいるかもしれませんが、児童相談所に自分で通報したからといって、すぐに警察に捕まるわけではありません。

 

今は毎日のようにニュースに取り上げられる児童虐待のニュースですが、今から始まったことではなく、昔からあったはずです。

しかし現代社会ならではのゆとりのない生活が、児童虐待を増やす結果になっているのではないでしょうか。

そしてゆとりのない中、親自身も子供に手をあげながら誰かに助けを求めているのではないでしょうか?

自分の子供に虐待をしていると、気づいた時点で児童相談所に自分で相談してみるのも1つの方法です。

親身になって相談に乗ってくれます。話もちゃんと聞いてくれます。解決方法も一緒に考えてくれます。

自分自身の子供に、大きな怪我をさせる前に、自分を止める術を身に付けることが大切だと思います。

 

 

ドラマホリック「死役所」あしたのわたし、凛ちゃんとイシ間

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