入院後50日を超えて、色々と心の中に溜まっています
最初、私が入院したのは、自分を1人でゆっくり休ませたい。と言う思いからでした。
子供のことも家のことも、全て忘れてゆっくりしたいと言う思いだけしかありませんでした。
でも実際には、障害のある我が子の事は祖父母の手にはおえず、家の事でも事あるごとにメールが来たりします。
本当に私は休めているのだろうか?担当医にしっかり休めてますか?と聞かれても『はい!』と言う事は1度も言えませんでした。
本当に休むと言う意味が全くわからないのです。寝ていても起きていても、常に頭の中は何かぐるぐるぐるぐる回り、何かしなくてはいけない焦りに駆られています。
退院後の支援が決まって
退院した後の支援など、私と子供に関することをどこに相談すればいいのかはっきりとわかるように、計画書のようなものが今作成されています。
後は作成されれば、私は退院となります。早ければ今月末遅くても来月初めには退院をします。
再び日常生活の中に、飛び込んでいかなければいけません。何が休めたのかわからないまま飛び込みます。
しかし既に家の中では問題が起きており、祖父母や兄弟では手に負えないことがあるようです。
そのため子供とテレビ電話をしたり、実際に兄弟とスケジュールを合わせて子供とあったりしながら、子供のケアもしていかなくてはいけません。
だからこそ私にとって休むと言うことの意味が全くわからないのです。休もうと思っても問題が起きるので、それを解決しなくてはいけません。
羨ましい入院
そういったことを考えると、同室の子は恵まれた環境で入院をしているなと羨ましく感じます。
仕事は病気休業中で、実家暮らしのため、定期的に洗濯物家族が取りに来て交換していきます。
最初一緒になった頃は、何かものを口に入れると吐いてしまうため食べることができずかわいそうだなと言う思いがありました。
そして病名がついていないと言うことがかわいそうだなと言う思いがありました。病名がついていれば治療法や支援が決まってくるのにそういったことができないのは寂しいことです。
しかし最近病名は分かりませんが、薬が合いものを食べてもはかなくなりました。それどころか食前と食後に間食を必ずするので、傍で見ていて過食になってしまわないかと心配になるほどです。
彼女は、看護師の管理の下に置かれていたので、自由に病棟出たり入ったりすることができませんでした。
しかしそれが食べれることにより解除されたのですが、朝昼夕方売店行きます。そしてお菓子を食べては、インスタントの春雨なども食べて病院食も食べています。
病院にいるときの楽しみが、食べることなどしかないということがわかりますが、1日何度も買い物に行くと言う事はそれだけお金を使っていると言うことです。
私は洗濯を優先しているのでコインランドリー代などのため、あまり売店で買い物することがありません。
買い物ができる彼女がうらやましいのではなく、心置きなく制限なく食べたり寝たり好きなときにできるのがうらやましいのです。
私のように子供のことを考えることなく、そうするだけでも気持ちが休まるのではないでしょうか?
しかし彼女は、日中起きていると嫌なことばかり考えてしまい、そのため考えないように寝てしまいます。
家族に迷惑をかけて、お金ばかり使って、生きていて価値があるのか…
それはこの病棟にいる人たちが誰もが思っている事かもしれません。そしてそこから誰もが逃げたいのかもしれません。
しかし彼女には逃げ道はあっても、私にはその逃げ道がないということが辛い現実です。しかし私には病名がついているだけ幸せなのでしょうか?
病名がついていることで治療方針が決まり、自治体からの支援が受けられると言う利点があるからです。
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