うつ病を発症してからの桜もちはどうなったか?

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前回こちらの記事で個人的なことを書かせていただきました。

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桜もちがうつ病を発症するまで

今回は、私(桜もち)のその後について書こうと思います。

本当は、このページで伝えたいことはたくさんありますが、現在の病状はあまり良いとは言えず

更新も毎日できない状態にあります。でも、まだまだこれからも私自身の体験からいろいろ書かせていただきたいので

よろしくお願いしますm(__)m

 

発病から半年後

 

 

多くのうつ病患者さんの目安になっている「半年」が私にもやってきました。

ちょうど8月、子供が夏休み中でした。

その頃には、夏休みが明けて落ち着いたら、どこか短時間パートでも探して働こう!!

と、心に決めていました。しかし、子供の夏休みが明けるとどんどん下降線をたどるようになります。

 

子供の夏休み、泊りがけで出かけたりもできたし、丸1日のお出かけもできました

しかし、子供の長い休みが知らないうちに、自分のストレスになっていったのでしょう。

起きられない、体を動かすことができない・・・。

しかし、夏休みが明けると「運動会」という子供が楽しみにしているイベントが待っていました。

私も、お弁当を作らないとっ!!と責任感はありました。

 

すでに運動会の数日前から「お弁当は作れない」という確信があり、レンジで温めるだけの物や

学校に申し出て、無理を言い「身障者用駐車場」を用意してもらいました。

当日、主食はコンビニでサンドイッチなどを買い足し、なんとか当日を迎えることはできましたが、

応援することは難しく、お昼ご飯ように場所を取った体育館で一人寝ていました。

しかし、子供の競技だけは何とか、応援席に戻り・・・。

家に帰ったころには限界でした。何もすることができず、翌日から発熱し、過呼吸が治まらず寝込むことになりました。

 

すぐに予約を取り心療内科へ

 

月曜日になっても過呼吸が治まらず、急遽予約をとり心療内科へ行きました。

すでに運転すら辛く、15分の道のりもとても長く感じました。

過呼吸のための頓服を処方してもらい、薬は現状維持で行きましょう。

ということでしたが、過呼吸は頓服で治まっても、体が鉛のように重くなり

起き上がるのもやっとの状態となり、頻繁に心療内科を受診しましたが薬は変わらず。

 

そのうちに、線路で電車を待っているときに

「このまま前に出ようかな・・・」

と、ブレーキを離せば・・・。

しかし、その後のことを一瞬考えて思いとどまることができました。

その日から運転が怖くなり、通院時は幼馴染か、幼馴染の母が病院まで付き合ってくれました。

それでも、薬の変更がないので自ら「カウンセリング」をお願いして

 

・現状の薬を続けても症状がひどくなる一方

・自力で通院できないので、一番近い精神科も受診したい

 

と、いうことを伝え、紹介状と、薬の変更をしてもらいました。

数日後、紹介状のおかげですぐに近くの精神科へ予約を取ることができましたが

人でごった返す院内、そして、初診で診てもらった先生がずっと担当になる(先生は全員で5人)ということを考えると

椅子に踏ん反りかえり「どうですか?」と聞かれたり、持て余したペンを揺らしたり・・・。

そんな担当医では無理だな。と直感で判断しました。そして、その時初めて先生という人の口から

「あなたはうつ病で間違いないです」

と、はっきり告げられました。そして、遠くても今までの病院へ通うことにしました。

 

事の重大さに初めて気づく家族

 

私は、自分がうつ病になった時、数か月後に打ち明けました。

その時の母親の言葉

 

あなたが家にいると助かる

 

私は、母親の手伝いの為に仕事を辞めたわけではなく、自分の療養のためにうつ病ということを告白したのですが・・・。

やはり、母には「自分」のことしか見えていませんでした。

幼馴染だけでなく、幼馴染の母親が通院に付き合う。こと自体が「異常事態」なのですが、そこで、やっと母親は私の病気はとても大変なことだと気づいたのです。

そして、自ら希望し心療内科で「家族受診」を行いました。

 

そこで、やっと子供を預けることができ、自分の療養に専念することができました。

食事も毎日、母屋へ行き食べましたが、1か月子供を預けた時点で、

自分の身の回りのこともできるようになってきたので、子供を引き取り、食事のみお願いしていました。

 

反抗期に入った子供

 

気づいたら子供が「反抗期」に・・・。

しかも、発達障害もあるので、対応がめちゃくちゃ難しい。

こちらが伝えたいことも伝わらないし、向こうも理解はできているけどどうしたらいいかわからない。

と、かんしゃくの嵐!!

 

そのたびに「出ていく!」「出ていけ!!」とのやり取りが。

そして、そのたびに仲直りではありませんが、なんとかおさまっていたのですが

「家出する!!」

と、ついに家出した子供ですが、行先は「母屋」

そこで、言いたい放題が復活したのが母親です。

 

発達障害も気持ちの切り替えや、安定が難しいのですが、

うつ病も常にイライラが募ったり、わけもわからず泣きわめいたり・・・。

 

それでもあなたは母親かっ!!

こんなかわいい子をいじめるな!!

などなど、言いたい放題です。

私は、子供のやりたいように一度やってみればいい。と、家出したいならどうぞ。

ということで、荷造りの手伝いをしていましたが、そこにまた怒鳴り込んできた母親。

 

結局は「自分の世間体が悪くなる」

 

そこでした。結局は子供の病気、孫の心の状態を理解するよりも、自分の体裁を気にばかりしているのです。

そのため、母とは縁を切りました。もう数か月会っても話してもいません。

私の体調が決していいわけではありません。

 

食事も作れません

掃除もまともにできません

朝もまともにおきれません

洗濯物も干すだけほったらかし

給食のナフキンもエプロンもアイロンをかけません

 

それでも、もう近くに頼れる家族はいなくなりました。

それなりに、母子家庭なので回ることは回るのですが、子供も障害がありつつも

少しずつ成長してくれていることで、なんとかなっているのかな(;^_^A

いや、なってない気もしますが、「気合い」でなんとか乗り切らないといけないかな・・・。

と、思っています。また、運動会も来るので、心は憂鬱ですが( ノД`)シクシク…

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