気になるCM「三ツ矢サイダー」出演は嵐!!プライベート感満載のCMに注目度大!!
「三ツ矢サイダー」と言えば、緑のあのマーク!!・・・おなじみの!!
(はっきりと表現できなくてすみませんm(__)m)
まぁ「アラフォー」なので、小さい時はあれは200ml!?250ml!?の【缶タイプ】が主流でした。
でも、今は【ペットボトル】が、なんでも飲み物は主流になっているので、
あの「細い缶」が懐かしいです・・・。
では、なくて、今流れているCM見ましたか?嵐のプライベートをきりとったようなCMいいですよね。
三ツ矢サイダー歴史
販売メーカー アサヒ飲料
発売時期 1884年
発売当初の名前 「三ツ矢平野水」
発売当時のメーカー 明治屋
始まりは兵庫県。そこで「平野鉱泉」が発見されたことがきっかけとなる。
湯治場として栄えていたが、【炭酸泉】の湯治場があるのは兵庫県だけではなかっただろうか・・・。
しかし、その【炭酸泉】もすぐにすたれていき、明治時代に入り外国人をもてなすために、
炭酸水を調達する名を宮内省からうけた、ウィリアム・ガランにより、平野鉱泉が再発見され、
「炭酸水工場」が建設され、1884年に三菱財閥「平野水」として販売を開始したが
1885年に明治屋が「採取権」を取得し、その地の平安時代の武士の言い伝えになぞらえ「一本矢礦泉」として
正式に発売された。その後改称され「三ツ矢平野水」として販売されるも、不振が続いた。
夏目漱石はこの「平野水」を愛飲しており、小説にも登場している。
そして、大正時代の皇太子にも献上されている。
1907年に「帝国礦泉株式会社」が設立され、「平野水」をベースに砂糖を煮詰めた【カラメル】や
輸入した【サイダーフレイバー】を加えた商品を販売した。
【三ツ矢印 平野シャンペンサイダー】として1921年に発表される。
しかし、加富登麦酒が帝国礦泉株式会社などを吸収合併し社名が「日本麦酒鑛泉株式会社」と変更する。
その後1933年に「大日本麦酒株式会社」とさらに合併し、会社は変わっていくが【三ツ矢シャンペンサイダー】として
商品は受け継がれていった。
その後戦時中は、工場が軍需工場となったため、1946年までサイダーの製造は中止されることになった。
しかし、製造を開始されても「砂糖の統制」があり、代用品として【人工甘味料ズルチン】で製造されるも
その安全性が確認できなかったことから、人工甘味料の使用は中止したが、その頃には「砂糖の統制」も廃止されていた。
そのため前面に「全糖三ツ矢シャンペンサイダー」として堂々と販売が再開された。
しかし「シャンパン」という商品名にフランスのシャンパンメーカーからクレームが来たため、
現在なじみのある「三ツ矢サイダー」へ改名した。
そして、会社はGHQの指示により分割され【朝日麦酒】が引き継ぐことになった。
【朝日麦酒】は【アサヒビール】として、経営を再始動するも、経営不振にあえぎ、主力商品の「ビール」に苦戦したが
その苦境をずっと支え続けてきたのが「三ツ矢サイダー」の存在だった。
様々な苦難を乗り越え、人工甘味料・人口着色料の使用禁止、そして2004年からは「天然水」使用など
時代のニーズに合わせて変化してきた。
2009年には「カロリーゼロ」商品も開発されるなど、時代のニーズに合わせ変化しつつも
ベースは変わらず「三ツ矢サイダー」は存在している。
嵐のCM
#嵐 出演 #三ツ矢サイダー の新CM、
「夏が好きだー!」編の90秒Ver.が
初公開🎊サイダーを飲みながら盛り上がる嵐5人の姿を、たっぷりご覧ください😍@asahiinryo_jp をフォロー&RTで、
抽選で商品を🎁#日本にはおいしいサイダーがある#嵐と三ツ矢の夏が好きだー— アサヒ飲料AsahiSoftDrinks (@asahiinryo_jp) July 13, 2020
今「話題」となっているのは、こちらの嵐のCMです。
部屋でくつろぐ嵐の傍らには、それぞれ「三ツ矢サイダー」があり、
それぞれがプライベートを思わせるような、ラフなスタイルが人気を集めています。
なんだか、嵐と言えば「ビール」のCMでもよさそうなところを、あえて「炭酸飲料」で採用したところが
国民的アイドルたるゆえんでしょうか!?
そして、嵐として「最後」のCMとなってしまうのでしょうか!?
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