自閉症スペクトラム障害=発達障害と診断されて3年以上が過ぎました。
小さい頃は個性として済まされていたことが、だんだんと年齢が上がるにつれて個性ではなく変わっている子と認識されるようになりました。
学校の中でも、何度も同じ話をしてもニコニコ笑顔で聞いていると言う、ちょっと変わった雰囲気を醸し出しているようです。
私の退院に向けて
我が子は私が早く退院してこないかと、待ち焦がれているようです。
それはただ他とちょっと違い、ママがいなくて寂しいから帰ってきて嬉しい。と言う感覚ではなく、ママが帰ってきたらどこかへ行ける。と言う期待感の方が大きいようです。
祖父母とも近所周辺車で出かける位で、子供が望むような場所には行きません。
そうため、映画1本観たくても近所には映画館すらありません。近くても1時間ほど車にかかります。
しかも次々に観たい映画が公開され、頭の中は映画のことで目一杯です。
ママならば映画館まで車で連れてってくれる。
子供の中にはそういった期待の方が大きいようです。
毎年の冬旅行
我が家では毎年2人で冬に旅行します。寒いのになぜ冬かと言えば、お正月を過ぎれば1番安い値段で宿泊できるからです。
この冬も旅行に行けると楽しみにしているようです。
車で1時間の場所すら行くことが難しい間、子供と一緒に旅行と言うのはさらにハードルが上がります。
しかしどんなに無理だと言っても、子供は固く信じています。
ママは映画館と旅行に連れて行ってくれる。
その期待には答えてあげたい気持ちがいっぱいありますが、気持ちだけではどうにもならないことがたくさんあります。
それをどのように子供に伝えても、子供の頭の中ではママが何とかしてくれると言うことが優先され、ママである私ができないといっても、子供の頭の中ではママならできるに変換されてしまいます。
こういった病気のときの理解に対して、気遣いを求める事は高望みでしょうか?
本当に少しずつ少しずつ成長しているように、こういった気遣いや理解は少しずつ少しずつ子供のペースでできるようになっていくものなのでしょうか?
我が子は私をなんだと思っているのでしょうか?
旅行に連れて行ってくれる人
学校の行事に参加してくれる人
習い事の送り迎えをしてくれる人
自分の身の回りの世話をしてくれる人
探し物を見つけてくれる人
髪の毛をきれいに洗ってくれる人
そんなような認識なのでしょうか。
本来ならば退院して、ゆっくりと休息をとりながら、日常生活に慣れていきたいところですが、おそらく初日からバタバタと我が子に振り回される毎日が見えています。
だからこそこういった障害を持つ親には、できるだけ子供と離れて休息できる場所が必要だなと改めて実感した入院生活でした。
そして離れることにより、見えてくる子供の成長もありました。近くで見るとわからないことも離れてみるとわかることもあるようです。
これから年末年始、クリスマス、お正月、子供が楽しみにしている時ばかりです。
ここ何とか乗り切れば、少し休憩ができるかなと思っています。そしてその後は進級があるので、また忙しくなりそうです。
周りの親たちが、子供は自分のことは自分でやってくれるから楽。と言っているのを聞くと羨ましく思います。
でもいつかそんな日がやってくると願っています。