このタイトルの登場は、初めてではありません。入院中も登場したはずです。
朝7時と言うのは、子供が学校に登校するために出発しないと間に合わない時間です。
だからこの朝7時の電話が、私には少し怖い電話です。
電話口で怒る母親
内容はすでに予想ができているので、出たくない電話でしたが、出ないと子供が学校に行かないのが分かっているので、しぶしぶ応答をタップしました。
今日は朝から体が重く、スマートフォンすら持って話すのが辛いので、スピーカーホンで話しましたが、電話口で怒り続ける母親と、その後で怒って泣いている我が子の声。
大体何があるか察しがつきましたが、とにかく子供と話をしないと、この場を収まらないと思い、子供に電話を代わってもらいました。
じいちゃんもばあちゃんも嫌い、この家も嫌い、モルモットの桃太郎も嫌い!
とにかく泣きじゃくっているので、話を聞くのも一苦労です。まずは泣き止んで、ちゃんと話をしてくださいと頼みました。
何度も泣きながら同じことを言い、結局内容はこういった内容でした。
子供に
そんなことを、言ってたらあなたが住む場所がどこにもなくなってしまいますよ。まだここに戻ってくることもできないから、ちゃんとおじいちゃんとおばあちゃんに謝ってくださいね。
ゆっくりと分かりやすく言いましたが、感触は簡単に収まるものではありません。
またすぐに電話がかかってきました。癇癪の勢いのまま大きな声で泣き叫びながら、ごめんなさい!
といったため、母親は一旦負けてしまったへそは戻りません。そのためもう一度母に電話を代わってもらい、
ご飯を食べなくてもいいから、用意ができたら学校に送ってください。
と私から頼みました。退院して1週間の間は、母屋で面倒を見てもらうことを頼んだはずです。
だからこそ、しっかりと我が子の状態を見極めて、対応して欲しいのですが、母にはやはり無理なようです。
私の入院で変わった母
私は入院中のすべてのことを、幼なじみに頼んでいました。退院する時も朝の昼の仕事帰りに迎えに来てもらいました。
そのお礼を言うために、母が幼なじみの母親に電話をかけたそうです。その内容は
私が入院中に、我が子の暴言や態度に、頭に来てしまい、いちど叩いてしまったことがあるが、我が子はそれに負けず向かってきたから、ここでひるんではいけないと踏ん張ったことがあった。
この出来事を通して、母はあちらの母親に言ったそうです。
今までの話の中で起こっていた、生活の様子がよくわかった。だからこそ今後は協力をしていきたい。
これで母は少し変わったのかと期待しましたが、朝7時の電話により、全く変わってないと言うことがわかりました。
私の病状が良くなって退院したわけではないので、昨日は色々と車で出かけていましたが、今日はベットからも起き上がれない状態です。
母屋で起きている事は母屋で収めてほしい。それが私に対する協力と言うことではないでしょうか。
とにかく私は、子供が離れで、寝起きできるように病院の生活リズムから、日常の生活リズムへと戻していく必要がありますが、昨日調子が良かったから、今日も頑張れると言うわけではないので、なかなか進みません。