うつくん、3歳おめでとう!

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わたしがうつ病になって丸3年が経ちました。

おめでとう。というのは違うと思いますが、自分が本当に「ヤバイ」

病院へ行かなくてはいけない決心をしたのが、自分の誕生日だったからです。

誰もが「まさか自分がうつになる訳がない」とおもっていても

突然「うつ病」になるか、その兆候は必ず見えているのです。

 

1か月で治してやる!!

 

うつ病と診断された時、私はそう思いました。

だってまさか、自分がうつだなんて思いもしないし、うつといえばじめじめとしたイメージがあったのですが

当時は動きたいだけ動けたし、身の回りの事もちゃんとできていました。

だから、元気もあり「こんな病気1か月で治すからね!!」

 

と、言っていたのですが、山あり谷あり谷あり谷あり・・・

おまけに1か月の静養入院のはずが、2か月の入院までしてしまい

今では「精神福祉手帳」を持つ身となりました。

「うつ」をなめてかかったあの時の自分に、うつの本当の怖さを教えてあげたい。

 

前兆はあった

思い返せば色んな前兆がありましたが、【女性特有】の更年期症状とよく似ていたこと。

そして、睡眠に関して子供のころから、よく眠れない体質であったので

自分が重度の不眠症だという認識がなかったのです。

季節も関係がありました。インフルエンザが大流行した時期だったのです。

 

体のだるさはインフルエンザだと思っていたのです。

インフルエンザは必ず熱がでるものではなく、無症状の場合も稀にあり

家族がみんなインフルエンザにかかっていたので、自分もそうだと思っていたのです。

今から考えれば、鉛のような体のだるさは「自律神経からの最後の警告」でした。

 

そこからどんどん自分が崩れ始めてきたのですが、女性ホルモンの乱れから

早めの更年期かな・・・なんて周りに話していました。

家に帰ればどっと疲れて、何も手につかない日もありますが

仕事へはきちんと出勤し、業務をこなしていたので、自分が「病気」である自覚すらなかったのです。

 

一人での決心

母子家庭のため、身内に相談できる相手がいません。

とある事情から、身内すら私は信頼できないのです。

だから、自分が「ヤバイ」と思った時も、泣きながら色んな病院に電話をかけては

予約がいっぱいだとことわられ、泣き止んでは次の病院にかけ・・・。

 

たまたま前年の秋にオープンして半年足らずの診療内科が、空きがあり診てもらえることになりました。

予約の日に行ってみると、驚きました。「同伴者」がいないのは私だけでした。

子供に同伴を頼めるわけでもなく、家族も信頼できないので頼みたくはありません。

そのため、一人で受診したのですが、それが逆に担当医を驚かせたようです。

そして、同時に家庭環境を悟ってくれることとなりました。

 

3年経ちますが、社会復帰というひとつのめどすら立ちません。

まずは「ごはんを作る」ことから始めよう。

と、発達障害の我が子が将来料理できるように、ホットプレートで作りながら食べることを思い立ちました。

まだ実行できていませんが、自分の生活を確保しながら、子供の成長も確保していかなくてはなりません。

 

洗濯も、今は干すときだけ別々の部屋にしています。

干し方の練習のためです。そして、あとは私が取り込む手間を省くため。

もう少し工夫をして、お互い折り合いのつく場所をどんどんこれから見つけていかないといけない。

そんな時期になってきました。

 

 

桜もちのうつ病記 ブログ

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