乳がんの発症とともに「うつ病」を発症し、夫婦で乗り越えた音無美紀子さん

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うつ病は、自分の人生の中に大きなショックや変化があった場合に引き金となり発病する言ことがあります。

引っ越しによる人間関係の変化

家族の突然の死

病気によるストレス

音無美紀子さんの場合は、乳がんの発病が引き金となったようです。

 

音無美紀子さんプロフィール

 

名前:音無美紀子

生年月日:1949年12月26日

出身:東京都

出身校:頌栄女子学院高等学校

血液型:B型

身長:164㎝

職業:女優

夫:村井国夫

事務所:オフィスのいり

 

6人姉妹の4女として東京に生まれる。

幼馴染である俳優の地井武男に勧められて劇団「若草」に入団したのが、芸能界入りのきっかけ。

その後、1967年「これが青春だ」の最終回で、ドラマデビューしている。

 

代表作

 

ドラマ

これが青春だ 第39話「青春号出帆」(1967年〉

でっかい青春(1967年)

お登勢(1971年)

一心太助(1971)

続氷点(1971年)

父子鷹(1972年)

あおによし(1972年)

剣客商売(1973年)

ありがとう(3)(1973年)

たんぽぽ(1973年)

大河ドラマ「勝海舟」(1974年1月 – 12月

ありがとう(4)(1974年)

つくし誰の子(4)(1974年)

たんぽぽ(2)(1975年)

はじめまして(1975年)

たんぽぽ(3)(1976年)

ちちんぷいぷい(1977年V)

たんぽぽ(4)(1977年)

たんぽぽ(5)(1978年)

熱中時代(第1シリーズ)(1978年)

伝七捕物帳(1979年)- おゆう

熱中時代 刑事編(1979年)

愛(1979年)

恋のA・B・C・D(1980年)

それからの武蔵(1981年)

花咲け花子(1981年)

大河ドラマ「おんな太閤記」(1981年)

嫁がず、出もどり、小姑(1981)

春よ来い(1982年)

源さん(1983年)

風にむかってマイウェイ(1984年)

男の家庭科(1985年)

塀の中の懲りない面々(1987年)

大河ドラマ「独眼竜政宗」(1987)

プロゴルファー祈子(1987年)

ビートたけしの浅草キッド・青春奮闘編(1988年)

大家族時代(1991年)

家族の物語(1993年)

はるちゃん(1996年)

女囚〜塀の中の女たち3(1997年)

立花登青春手控え(2016年)

月曜名作劇場 「新・浅見光彦シリーズ5」(2019年)

 

映画

あゝひめゆりの塔(1968年)

王将(1973年)

星と嵐(1976年)

男はつらいよ 寅次郎紙風船(1981年)

チロヌップのきつね(1987年) – 声の出演

その男、凶暴につき(1989年)

息子(1991年)

 

乳がんの発病

 

1975年に俳優の村井国夫さんとご結婚され、一男一女に恵まれ、誰もがうらやむ芸能家族として

視聴者には映っていた。しかし、1987年突如病魔に襲われた。

女性に多いとされる「乳がん」に体は犯されていました。

がんにより「全摘」を選び、現在でもテレビなどで元気な姿を見せてくれるほどに回復されていますが、

その「乳がん」がうつ病のきっかけとなりました。

 

思うようにいかない日常

 

音無さんが乳がんを発症したのは1980年代。当時は「ガン」を公表する芸能人も少なく音無さんもその一人でした。

ガンの公表が一般的になり始めたのは、アナウンサーとして絶大な人気を誇った「胃がん」であることを、記者会見で公表した逸見政孝さんから

変わり始めたのではないでしょうか!?残念ながら1993年12月に逸見さんはガンに勝てず亡くなってしまいましたが、

その影響は大きく、その後「病気」を公表して闘病生活に入る。という芸能人が多く現れるようになりました。

 

少し話しはそれましたが、音無さんの頃はまだそういった風潮もなく、他に公表しないために相談相手もなく

病気について相談する相手もいないことが、うつ病の原因になるストレスを抱え込むことになったのでしょう。

ガンを公表しないままに仕事は続けていたので、本番直前になり体調不良で降板ということもあったそうです。

そうしたことも、「何かの病気なのではないか!?」と周りが勘ぐることにストレスを覚えたでしょう。

 

音無さんを襲った症状

 

徐々に音無さんはうつ病の症状にも苦しめられるようになります。

 

食欲不振

不眠

やる気がわかない

楽しみを感じない

自殺願望

 

当時まだ子供も幼く、子育てと闘病と、うつ病と何重にも音無さんにのしかかっていたのは想像にたやすいです。

その様子をみて、夫の村井国夫さんが精神科の受診を進めましたが、当時「うつ病」という言葉も一般的でなかったため

音無さんは受診を拒み続けました。

 

音無さんに訪れた転機

 

ある時7歳だった娘に言われた一言が音無さんを救います。

 

どうしてママは笑わないの?

 

子どもに心配をかけないようにしてきたはずでしたが、純粋な子供は親の変化を気づいていたのですね。

その一言が転機となり、仕事を降板して「うつ病」を克服する覚悟を決めます。

そして、現在は元気な姿を取り戻し、舞台などに立ったり、夫婦でバラエティーへ出演したりと活躍を続けています。

隠し続けることより、公表して肩の力をまず抜いて、自分を休ませることもうつ病の治療には大切なことですね。

 

うつ病を克服した芸能人たち

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