うつ病を経験した芸能人「萩原流行」さん
萩原流行さんと言えば、2015年に起きたバイク事故でこの世を去りました。
しかし、その少し前、「夫婦でうつ病」を患っていたことを書籍にしています。
事故が起きた時、うつ病は治っていたのかどうなのか、わかりませんが、
今回は「萩原流行」を取り上げさせていただきます。
俳優「萩原流行」プロフィール
実録社畜武勇伝
20代の頃。ちょっと小太りで冴えない後輩が1人じゃ不安だと言うので婚活パーティーに付き合う。2人で決めたドレスコードは目一杯のお洒落。当日。テンガロンハット&首にスカーフという往年の萩原流行さんスタイルで現れた後輩。パーティー会場を通過し、そのままセレクトショップへ… pic.twitter.com/I1ucZWFv6N
— 中村 麦茶 (@mugimugi21tea) May 10, 2019
代表作
東中学3年5組(1984年)
刑事物語’85(1985年)
スケバン刑事Ⅲ(1986年)
名前:萩原流行(はぎわらながれ)
本名:萩原光男(はぎわらみつお)
生年月日:1953年4月8日
没年月日:2015年4月22日(62歳)
出身:東京都
身長:173㎝
血液型:O型
家族:妻まゆ美
出身校:世田谷学園高校
デビュー:1973年
プロゴルファー祈子(1987年)
独眼竜政宗(1987年)
教師びんびん物語(1988年)
奇兵隊(1989年)
同じ劇団に所属していたまゆ美さんに一目ぼれをして、猛アタックの末結婚することとなった。
が、2人には子供がなく、いつもどこへ行くにも一緒に出掛けていた。
しかし、その終わりは突然やってきた。髪を切りに行くと小雨の中ハーレーで出かけた萩原だったが
まゆ美さんの前に生きて帰ってくることはなかった。
3車線の中央を走行中、何らかの原因で萩原さんがスリップし、右車線へ滑り込み転倒した際
後続車に轢かれ亡くなったことが直接の原因だが、まゆ美さんには納得がいかなかった。
なぜなら、左車線から無理に車線変更をしたパトカーについた傷と、ハーレーについていた傷が一致していたのだ。
しかし、警察は証拠を隠蔽しようとしたため、目撃情報や、防犯カメラの映像を集めることにより
警察車両の無理な車線変更により、萩原さんに接触し、そのことが原因で後続車に轢かれた事故だと判明し、2019年やっと警察より謝罪があった。
その間、まゆ美さんは様々なバッシングを受け苦しみ、「うつ病によることが原因の事故」だと根拠のない嘘に苦しめられてきたが
警察が、すべての原因だと認め、萩原流行さんの名誉回復への一言を謝罪文に盛り込んだことで事態は終結した。
萩原流行さんのうつ症状
まず初めに、うつ病を発症したのは妻のまゆ美さんでした。元々精神的に不安定で、
社会不安症害を抱えており、当時の劇団を退団せざる得ないくらいに症状が悪化し、
まゆ美さん30歳のころ、うつ病へと移行していきました。
その後、うつ病を発症したのが夫の流行さんでした。
劇団所属でも端役が続き、結婚しても生活は安定していませんでした。
しかし、つかこうへいさんに見いだされたことから仕事が増え始めます。
しかし、そのことが流行さんのうつ病の引き金となりました。
あまりの忙しさが原因で1991年ころうつ病を発症したのです。
声が出ない
人に会いたくない
やる気が出ない
集中力がない
自殺願望
など、俳優としては致命的な「声が出ない」という症状を体験したそうです。
先に、うつ病を発症していたまゆ美さんが通院していた病院へ行きすぐに「服薬治療」を開始します。
闘病中でも仕事を休まない
うつ病と診断された「萩原流行」さんですが、主治医に「1年間の休養」をすすめられます。
しかし、俳優として名も売れてきたところでもあり、妻のまゆ美さんから「役者に心の病はつきもの、職業病と思えば」
と、言われたことから、気持ちが軽くなり仕事を減らすことなく、続けながら治療も続けていくこととなりました。
うつ病発症してからの事故
萩原流行さんは1991年にうつ病を発症し、亡くなるまで治療を続けていましたが、その間何度かの事故を起こしています。
2013年
乗用車を運転中、交差点で、自転車に乗った50代の女性と接触。女性は膝を打撲し、流行さんは事情聴取されています。
2014年
乗用車運転中に、50代の男性に後ろから衝突し、2週間のけがを負わせるが、そのまま逃走し書類送検される。
2015年
バイクで走行中、前方で急停車したトラックを避けようとして転倒し、救急車で運ばれる。
このように3度の事故を起こしています。
うつ症状の「集中力が続かない」などの症状もこういった事故と関係しているのかもしれません。
そして、2度目の事故ではそのまま逃走となっていますが、流行さん自身は「事故を起こした認識」がなかったそうです。
うつ病を治療していると、多く聞かれることですが「記憶の欠如」が起こることがあります。もしかしたらその時の流行さんもそうだったのかもしれません。
まとめ
結果的に、萩原流行さんのうつ病は治ることなく、1991年から亡くなる2015年まで、約24年もの間、服薬による治療が続いたことになります。
そして、元々不安症などを抱えていたまゆ美さんは、流行さんが亡くなった後激しい「夫ロス」にも苦しんだそうです。
そんな中で、証拠もないのに「うつ病による操作ミスによる死亡事故」と書き立てられ一層苦しんだことだと思います。
実際、最後の事故については「警察車両の操作ミス」に巻き込まれた形でしたね。
半年から、1年半で社会復帰のめどが立つといわれているうつ病と、24年も向き合ったということは、仕事を続けたことも闘病が長くなった原因なのかもしれませんね。
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