催眠薬自殺未遂を何度も繰り返した小説家太宰治

広告

いつごろからから不眠症と言う症状は病気としてあったのか、時期は分かりませんが、日本国内外で有名な小説家太宰治

代表作に「走れメロス」や「人間失格」などを執筆し、戦中戦後に活躍した小説家ですが、

彼は何度か催眠薬での自殺未遂を図っています。催眠薬と言う事は今で言えば睡眠導入剤と言うことになるでしょうか。

今の睡眠導入剤では簡単に自殺ができるような量を処方されることはありませんが、当時処方されていた睡眠導入剤はよく自殺未遂の薬として利用されました。

 

太宰治プロフィール

名前 太宰治

本名 津島 修治(つしま しゅうじ)

生年月日  1909年6月19日

没年月日 1948年6月13日

没年齢  38歳

出身地 青森県

死亡地 東京都三鷹市

最終学歴 東京帝国大学仏文科中退

職業 小説家

活動期間 1933年 – 1948年

子供  長女 園子

長男 正樹(ダウン症の疑い?)

次女 里子(後に佑子と改名

婚外子 太田治子(認知済)

女性関係

小山 初代(おやまはつよ)内縁関係

結婚前提だったが、稽古であったため長兄に結婚を反対された。しかし後に、津島家離縁とすることで結婚は許されるが、籍は入れなかった。

後に太宰が山崎富栄と知り合い、その後初代とカルモチン自殺を試みるが未遂に終わり、離別した。

「東京八景」など多くの作品のモデルとなっている

田部 シメ子(たなべしめこ)恋人関係

短編小説「道化の華」モデル園

しかしその間にシメ子と自殺未遂騒動を起こす。(シメ子のみ亡くなる)

石原美智子(いしはらみちこ)見合い結婚

この頃に子供に恵まれ、執筆された作品が代表作「走れメロス」など、執筆依頼が続き忙しい日々が続く。

太田静子(おおたしずこ)愛人

2人の間に子供は生まれるが、太宰治は認知している。

山崎富栄(やまざきとみえ)愛人

 

太宰治最後の愛人であり、腹膜炎の手術を受けた際に「鎮痛剤のパビナール」中毒に陥った太宰治を、献身的に介護した人物です。そして玉川に一緒に入水自殺をした女性として知られています。

自殺未遂

1929年12月カルモチン自殺未遂

寄稿した小説が落選したのが原因と言われている。

1930年11月シメ子とカルモチン自殺未遂

この時は太宰治だけ助かった。

1935年3月新聞社の入社試験に落ち首つり自殺未遂

1937年3月初代とカルモチン自殺未遂

この時は2人とも未遂で終わった。

1948年6月山崎富栄と玉川にて入水自殺

6月19日太宰治の誕生日に2人の遺体が顆粒で発見される。

 

太宰治を生前4回の自殺未遂を行っているが、そのうち3回がカルモチンによる自殺未遂を行っている。

 

カルモチンとは?

日本においては、1915年に発売された商品名ブロバリンとして発売された。

不眠症に効果があり、主成分はアリルイソプロピルアセチル尿素となっており、当時は一般的な薬でした。

しかし多量に摂取すると死に至ることもあり、現在は、睡眠薬としては1960年代頃より、ベンゾジアゼピン系が主流になっており、流通はしていない。

 

しかし、現在でも一部市販薬において頭痛薬に、カルモチン含まれていた成分が微量に含まれているものもある。

商品名としては「ナロンエース」があるが、微量のためこの薬を大量に摂取したとしても死に至る事は無い。

 

まとめ

太宰治の生涯で3回もカルモチン自殺未遂をしておりますが、当時は薬局などでも簡単に購入できたのでしょうか?

それとも太宰治自身が眠れずに病院から処方されていた薬だったのでしょうか?

詳細は分かりませんが、おそらく睡眠薬で自殺ができるといったような話は、こういった昔の睡眠薬による自殺未遂が多かったことから、今でも自殺に睡眠薬が使用されることがあるのだと思います。

しかし現在では、医師の処方のもと睡眠薬が管理されており、死に至るほどの量は処方されません。

ただ中にはドクターショッピングなどをして、大量に睡眠薬を手に入れる人も中にはいますが、睡眠薬で自殺をしようとした場合飲まなくてはいけない量は何百錠にもなるので、死ぬ前に眠ってしまうと思われます。

太宰治のカルモチン自殺未遂で気になる点があります。それは一度、女性だけがなくなっていると言うことです。

これは予想ですが、太宰治は178センチと大柄だったため、二人おなじ量のカルモチンを飲んだとしても、致死量に至らなかったと言うことだと思います。

 

抗うつ剤、睡眠導入剤、精神安定剤のOD(オーバードース)について

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です