心が悲鳴をあげています

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年末年始は皆さんどう過ごしますか?

我が家は特に親戚もいないので、自宅で過ごしています。

しかし自宅で過ごすことにより、より多くの時間を家族と過ごすことになります。

すでに心が悲鳴をあげています。

 

心からの悲鳴

私にとって家族と過ごすと言う事は、「苦痛」の外に表す言葉がありません。

なぜならば、ずっと母の愚痴を聞き続けなければいけません。

聞かなければ良いのですが、同じ部屋で話しているのでいやでも聞こえてきます。

そして、愚痴だけでなく悪口もいます。1番いけないのは、本人がそれが人を傷つけると言うことを何もわかっていないのです。

 

特に子供のことに関しては、今食事に関し母屋にお願いしています。

と言う事は、自分自身で食事の管理ができない我が子のために、変わって母が管理をしなければいけない立場にありながら

子供に対して「デブ」「太り過ぎ」「食べ過ぎ」と平気で言うのです。

我が子はそれが悪口だとは気づいていません。

でも私は、それで心が悲鳴をあげていくのです。

そしてその他にも、私に対しての言葉の矢が、凶器となって突き刺さってきます。それは母の知らぬところで行われます。

人の気持ちを考えながら話すと言うことができない人なのです。だからこそ母が知らないところで、私の心がズタズタなっていきます。

 

泣き叫びたい

気が狂ったように泣き叫びたい気持ちでいっぱいです。

しかし子供がいる手前、そんなこともできません。

自分の部屋にこもり、布団に潜って声を殺して泣くしかありません。

いちど崩壊し始めた心は、ドンドンと崩れていきます。自傷も始まりました。

私はこうやって、どんどん壊れていくのでしょう。そして、それを気づくことがないまま、子供の冬休みは終え

日常生活へと戻っていくのでしょう。

 

そういえば、子供にはまだ言っていませんが、冬休みに温泉に行く予定がありました。

傷つけてしまった場所をお風呂でどう隠したら…?

隠す位だったら、傷つけたりはしません。傷を見て気持ち悪いと思うならば思えばいいと思います

人にはそれぞれの事情があって生きているのです。見た目で判断するほど簡単な人生を歩んではいません。

もし、温泉に入って、私に対して嫌な視線を送る人がいるならば、それは母と同類の人間なんだと思います。

自分の経験価値の中でしか、人の人生を測れない人=自分の価値観で人を傷つけていく人。

自分のことは自分でわかっています。それでいいのです。周りに分かってもらおうとしなくてもいいのです。

私には私の事情があって、誰かに迷惑をかけた事はありません。腕に傷があって温泉に入ったとしても、私はハサミを持って温泉に入ったわけではありません。

だから別に、自分を傷つけたとしても、初めて見る人その場限りの人には関係ないことです。

私の心が崩壊している事は、誰の目にも見えないのです。

 

 

桜もちのうつ病記 ブログ

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