今まで我が子が発達障害と診断されるまでと、そこからの道のりを書いてきましたが
3年生になったときの話がまだ途中なので続きを書いていきたいと思います。
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保健室に登校し始めた我が子
幸いにも翌日から、保健室に登校することを許可されました。
実はそこに至るまでには何度も担任との話し合いがありました。しかし、まるで自分のことのように話を聞いていないのです。
そのため話し合いは、担任抜きで学年主任を通して行っていました。
しかし結果的に、我が子は学校に行けない状況になってしまった事はとても残念でした。
幸いなことに、保健室の先生は私が中学校時代の恩師でした。そのため我が子のこともすんなり受け入れてくれ、我が子の拙い言葉もちゃんと聞いてくれました。
毎朝保健室に私が連れて行き、気持ちが落ち着いたら教室へ行く、気持ちが不安定になったら保健室へ行くと言うことを繰り返していました。
しかしある日信じられない言葉を聞きました。
先生が保健室に行ってはダメだと言う
我が子の言うことなので、どの程度のことなのかが分からないのですが、すぐに学年主任に電話をして事の次第を伝えました。
そして事実確認をしてみると、確かに担任は保健室に行くなと言ったそうです。しかしそれは、そういう意味で言ったのではないと言い訳をしたそうです。
ではどういった意味で、我が子に保健室に行くなと言ったのでしょうか?
それから何度も学校と話し合いを持ちましたが、担任の態度は全く変わりませんでした。
変わるどころか、学級崩壊が起き始めました。
参観日では見せない姿
なんだかんだで月に1度学校に行くような行事がありますが、1番多いのが授業参観です。
何を話しているか全く聞こえない声で授業する担任ですが、黒板に書く文字もチョークが薄くて見えません。
そして書いてある文字も小さすぎて全く見えません。
しかしそれは、親の前だけの態度だったんです。本来の担任の姿は罵声を浴びせ隣声を上げ隣の教室の児童まで怖がる事でした。
そのため我が子のクラスには、他のクラスの子供たちは近づかないようにしていたそうです。
そして問題を起こしたくない担任は、問題を解決するのではなく、問題を放置していくのです。
同じクラスの中に、学年で1番やんちゃな子がいましたが、その子が授業中にいたずらをしても席になくても誰も注意をしないのです。
それがだんだん輪を広げていき、授業は授業でなくなっていきました。相変わらず我が子の吊るし上げも続いていました。
そこで、私と担任と学年主任と学習指導主任の4者会議がもたれましたが、驚いたことに、ここでも自分のことなのにメモすら持ってこなかったんです。
そして自分のことを言われているのに、他人事のように天井を見上げて話を聞いているのです。
体はすぐにでも席を立てるように、椅子に斜めにかけ足は机から出ていました。
全員が体をまっすぐにして座る机の下に足を収める中、本当に自分の話だということがわかっているのかどうか不思議な光景でした。
私はメモではなくボイスレコーダーを持ち込んでしっかりと録音しました。しかし肝心なことに、担任は横向き声も小さいため担任の声が入らないのです。
そして入ったとしても全てが言い訳です。
私はそんな意味で言ったんではない
私はそんなことはしていません
それは言葉の捉え方の違いです
ある程度まで話が進みまとまりかける頃に、学習指導主任は他の会議があり中座しましたが、驚くことに担任まで席を立とうとするのです。
おそらく学年主任が制止しなければそのまま席を立って帰るつもりだったでしょう。
そしてそこからは3人で話し合いになりますが、相変わらず話も聞いてないしメモを取ることも全くありませんでした。
案の定話し合いの後担任の態度は変わる事は全くありませんでした。
しかし学校として全体の対応が少しずつ変わってくるようになったのです。
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