桜もちがうつ病を発症するまで
私(桜もち)は発達障害の子供(おもち)と2人で、実家近くの家に暮らしています。
今回は私自身がどうしてうつ病になったのかを振り返りたいと思います。
原因から初期症状、専門医を受診しようと思うまで。
誰かのお役に立てたらうれしいです。
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原因は親子関係
私の場合、この病気の原因は親子関係にあります。
周りから見ればごく普通の家庭ですが、幼少期から母の私に対する態度は「普通」ではありませんでした。
いわゆる「毒母」と呼ばれる部類に入ると思いますが、虐待があったとかそういったことはありませんでしたが
幼少期から私の存在は母にとって「ない」ようなものでした。
そして、仕事で不在がちの父は寡黙で、家で話しをする。と言ったこともありません。
やがて私にも反抗期がきますが、母の行動はエスカレートしていきます。
「私が何も話さない」からという理由で、私がつけていた日記を盗み読みし、それを親戚の前で披露し馬鹿にされる。
ことあるごとに「私がこんなにつくしているのに・・・」という母。
私にとっては早くいなくなりたい家でした。
高校を卒業機に家を出ましたが、父の説得で7年後戻ることになりました。
そして、やがて結婚をしました。
夫からの暴力
付き合っているころからおかしな部分はありました。
しかし「外堀を埋められる」ように結婚へと方向は決まっていました。
結婚後まもなく妊娠しますが、夫からのDVはエスカレートするばかり。
そして、周りにばれないよう、気づかれない洋服で隠れる部分であったり
水を浴びせられたり・・・。
私自身も周りに打ち明けることはできませんでした。夫は外では「よい夫」を演じていたので。
そして、出産後さらにエスカレートしていくDV。子供の命のためにも私は決断する必要がありました。
夫が仕事で不在の時に、子供を連れ実家へ避難し、すべてを打ち明けましたが
反対したのはやはり母でした。「そんなことはあるはずがない」「あなたが離婚したら私が近所から何言われるからわからない」
私は特に驚きませんでした。そう言うだろうと予想はしていました。
しかし、実家に避難したものの、実家近くの家に居座る夫。
離婚が成立するまでは「息を殺して生活」するような環境でした。
約2年ほど離婚にかかりましたが、離婚が成立したとたん「あんな変な人と別れてくれてよかったわ」と言い放った母。
子育てに口出しをする母
離婚後、「家は使わないと痛むから」という理由をつけて、また実家近くの家に戻りました。
しかし、何かと子育てに口を出してくる母。保育園へ行くたびに見送りに出る母。
本当に煩わしかったです。
なせかというのは、そのころから子供に「何か障害があるのでは!?」と私自身の中で疑いがあったのです。
だからこそ、私が普通だと思う「子育て」をしても通用しないのです。
それどころか子供はひどくかんしゃくを起こし、4時間でも泣き続けました。
もちろんその声は近くの実家まで聞こえます。そのたびに母から「あなたが虐待しているから」と言われました。
子供の障害の正体もわからず「虐待」呼ばわりされ、私も精神的にどんどんと追い詰められていきました。
子供にとって一番良い環境は、祖母のいない環境だと気づくまでに時間はかかりませんでした。
祖母がいないときは、拍子抜けするほど落ち着いている子供。
逆に祖母がいると助けを求めるかのように、大きな声で鳴き続ける子供。そしてどなり込みに来る母。
本当に誰かが、私が子供を虐待している。と児相に通報してほしい!!
と、願う毎日でした。そしたら相談する場所もあり、子供も私も助けてもらえる。
しかし、夫の時もそうでしたが、近所の誰も通報をすることはありませんでした。
そこで、私が頼りだしたのは、かかりつけの小児科でした。子供にはてんかんがあり、
定期的に通っていたので、「薬の副作用」で起こることなのか、「障害」で起きていることがあるのか・・・。
子供の異変に気付いてすでに、5年経過していました。
壊れていく自分
私の子育てを虐待と言われ、やっとかんしゃくが治まったころに怒鳴り込みに来て、また子供の気持ちを不安定にしていく母。
そんな毎日の繰り返しで、私自身限界を感じていました。子供の障害もわからず、相談する場所もわからず・・・。
でも、母親からは「虐待している」とことあるごとに言われ・・・。
そんな時、1通のメールが来ました。元義父からです。元義父はとある会社の会長をしており
地位と名誉のある人ですが、長男である元夫のしりぬぐいばかりしているような人でした。
しかし、離婚したことも何もかも「孫に罪はない」と、自分の年齢を考え「遺産相続」の代わりに、子供の生命保険とがん保険に加入してくれないか。
というものでした。補償内容は一番良いもので、将来子供が困らないように。という条件でした。
近くに指定された保険会社がないので、車で1時間ほどの場所へ移動する途中、
わけもなく私は号泣していました。もうあふれてくる涙が止められないのです。でも理由もわかりません。
しかし、その時「病院へ行かなくちゃいけない!!」と強く思いました。
日常的な母からの態度と言葉、子供の障害について、日々思うことは色々ありましたが、元義父からの電話が過去をフラッシュバックさせていたようです。
そして、私は崩壊しました。
病院探し
「私には病院が必要だ」
と、直感的にわかっても「何科へ行けばいいのか?」全く分かりませんでした。
でも、きっと心がどうかしてるんだから心が付く「心療内科」へ行けばいいんじゃないか。
あと、精神的に参っているから「精神科」もいいんじゃないか。
と、子供の保険の手続きが終わり、そのまま病院探しを始めましたが、どの病院も
「予約となりますので、一番早くて〇日後の・・・」
今っ!!診てほしくても10件の病院すべてに断られました。
そこで考え方を変え、「多分しばらく通院することになるだろう。そしたら車で1時間毎回通うこの場所で探しても仕方ない」
と、思い家がある近辺をあたりました。やっとその中で1件だけっ!!ちょうど仕事が休みの日に一番早く診てくれる心療内科を見つけました。
そして、やっと当日を迎え処方された薬は「睡眠導入剤」だけでした。
病名を処方薬から知る
その後も何度か通いました。そのたびに薬がかわりましたが、診断名を言われることはありませんでした。
とにかく私が「眠っていない」ことをまず解決しましょう。ということでありとあらゆる睡眠導入剤へ変更していきました。
そんな中で、先生から「この薬はうつ病に・・・」と言われたことがありました。
そこで初めて自分は「うつ病」なんだとわかったのです。
そして、抗うつ剤も自分に合うものを見つけるために、2週間ごとに変更になっていきました。
子供の障害について
自分の病名が分かったのと同じころ、子供の主治医にも相談を開始していました。
てんかんの持病があるので、薬を変更してもらったりしましたが、薬による副作用などで
かんしゃくを起こしたり、やる気がなかったり・・・。
というわけではありませんでした。そこで、子供の発達相談を受けることになりました。
すでに小学生となっていた子供の診断結果はすぐにわかりました。「自閉症スペクトラム障害」
今までのすべては私の虐待ではなく、遺伝による障害であることがわかりました。
(遺伝はきっと元旦那。そして、母からの隔世遺伝の可能性もあります)
そこで、子供に関わる人すべてに同じ情報が伝わるように、障害の状態について1冊の冊子をつくり、
そこに一言「私はうつ病です」と書き加えましたが、そこに誰か反応したことはありませんでした。
子供の障害がわかり、どのように接してほしいのかをまとめたはずですが、やはり母には伝わらず見当違いの対応ばかりでした。
そして、その見当違いの対応が続き、子供がパニックをおこしているのに、私が悪いと攻め続ける母。
結果、私のうつ病は悪化していきました。
長くなりましたので、今回はこのくらいで終了します。
また次回、各項目から詳しく話していきたいと思います。
長い文章を読んでくださり、ありがとうございますm(__)m
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