「新米姉妹ふたりごはん」で登場した【天ぷら】の成り立ちと、歴史について
テレビ東京で放送中の「新米姉妹ふたりごはん」ですが、高校生の義理の姉妹が、
両親の再婚をきっかけに同居を始めますが、新婚早々、サチの父は世界を飛び回る
フォトグラファーのため、あやりの母も同行しているのか、ほぼ初対面の二人を残し
海外に旅立ってしまいました。しかし、2人は違う高校に通う同い年。
数が月だけお姉さんのサチは料理が苦手だけど、今時の高校生活を楽しんでいますが
あやりは、まじめで内気な性格のため、「友達」もいません。しかし、亡き父からの影響か大の料理好き!!
趣味は「キッチングッズあつめ」ということでありとあらゆる調理器具が、ドラマの中でも登場します。
第9話の放送は「天ぷら」が晩御飯のめにゅーとしてあがりましたが、この歴史について紐解いていきたいと思います。
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天ぷらの歴史
天ぷらは「天ぷら」と表記されることが多いですが、その他にも
天麩羅
天婦羅
と表記されることがあります。日本料理のひとつですが、発祥としては「江戸」とされています。
庶民が屋台で立ち食いするような形で広まったと言われています。
しかし、元をたどると歴史は深く、奈良時代もしくは平安時代に中国から「米粉を衣にした料理」が伝わり
その後、16世紀にポルトガルの宣教師によって「小麦粉を使った揚げ物」が伝えられました。
そちらが今の天ぷらの原型に近いですね。
天ぷらの調理法
小麦粉
水
卵
これらすべてを調理直前まで冷蔵庫に入れておきます。
温度が低いほど「カラッと」した衣に仕上がります。
衣はサクッと混ぜ合わせて、後は好きな具材を衣にくぐらせて高温で揚げ
塩や、天つゆ等で食べます。具材としては
海老
かぼちゃ
レンコン
玉ねぎ
きす
ちくわ
などが多く食べられますが、人参と玉ねぎを千切りにして、そこにサクラエビを加えた「かき揚げ」も
天ぷらとしては一般的になっています。
天ぷらの始まり
「てんぷら」として、日本の書物に登場するのは、江戸時代1669年に発行された「食道記」
そこには【素材に衣をつけて油で揚げる】と記されており、すでに今の天ぷらと通じています。
しかし、精進料理の中に「天ぷら」に似た揚げ物料理があったため、精進料理と天ぷらが混同して伝わっていった。
そのために、西日本では魚のすり身を上げた物を「天ぷら」という地域や、
南蛮料理を元にした揚げ物「長崎てんぷら」などがある。
17世紀には串に野菜を刺して、油で揚げる「つけ揚げ」という料理も誕生しており、
現在の「天ぷら」と呼ばれる形が確立したのは、「食道記」から5年後の江戸時代。
「天ぷら屋」として、屋台で食べる食べ物として確立していった。
そして、徐々に屋台から、お店を構える人もでてきましたが、大正時代に起きた「関東大震災」により
職を失った東京の人々が各地へ散り、東京の「天ぷら」を各地へ伝えていった。
と、言われています。当時は出汁か何かにつけて食していたのか、関西で「塩」を付けて食べる
食べ方が主流となり、逆にそれが関東へも広がっていったと思われる。
お寿司も今のように、くるくる回るもとになったのは、江戸の屋台文化でしたね。
江戸の庶民は、海も近いため、素材を美味しく食べるグルメな庶民が多かったのかもしれませんね。
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