子供に手を挙げる前に一呼吸置いて考えて欲しい児童虐待について

どんなに自分が苦しい思いをして、産んだ可愛らしい赤ちゃんだとしても、成長するに従って一人一人人格や性格ができてきて、

ときには反抗的になったり、今まで素直に言うことを聞いていたのに急にきかなくなったり…

子育ては自分の思うようにはいきません。

毎日のように報道されている「児童虐待」もそんな苛立ちから起こるのではないでしょうか?

まずは子供に手を挙げる前に、止まって考えて欲しいのです。虐待とは何か。

第一次反抗期

反抗期は何も、小学生の高学年から中学生に向けてのものではありません。

小さな子供にだって反抗期があるんです。その代表的な時期が「いやいや期」と言われている第一次反抗期です。

でもこれは、考えてみれば正常な成長の証ではないでしょうか?

何に対してもいや

食べ物に対してもいや

着るものに対してもいや

一旦そうやった否定してみるものの、子供なりに考えて洋服を選んだり、食べないと言っていたものを食べたりします。

しっかりと、自我と言う気持ちが生まれてきた証拠にもなります。

この自我と言う気持ちが生まれないと、自分自身で何も決められないような大人になっていくと思います。

全てが親のルールの中で育ち、親の敷いたレールの上に乗り、親の思い通りに生きるのです。

しかし、思わぬところで親の敷いたレールから脱線してしまうと、引きこもりや、職業を転々と変えていくといったことになると思います。

はたしてどちらが良いと思いますか?

しっかりといやいや期があり親に反抗する子供

いやいや期もなくスムーズに育つ子供

スムーズに育つ子供の方が、子育てはより楽ですが、思い出としては少し反抗的な方が、様々な思い出が残ります。

でもここで1つ考えてほしいことがあります。

 

第一次反抗期がない子について

他のことに興味がない

興味がある事はいつまでもやり続ける

名前を呼んでも返事をしない

あまり話さない

妙に大人びたことに興味がある

こういった場合、小児科に相談してもいいかもしれません。発達障害の疑いがある場合、小さい時はとても育てやすい場合が多いのです。

そして逆に第一次反抗期があったとしてもその後、一向に収まる様子がなく、泣きわめくことが多くなってくる場合

この場合は親も限界が来て手をあげてしまうことがあるかもしれません。

実際に私がそうでした。第一次反抗期が終わっても、3歳ごろから急に何を言っても泣き続けまま生き続け、ひどい時は5時間以上続きました。

実際にそれは発達障害から来る「癇癪」の表れでした。しかし泣きわめく以外は普通だったため、様子見で専門機関に相談する事はありませんでした。

しかし、癇癪はエスカレートしていき、私が手を挙げることも多くなってきました。

今になって考えてみれば、あの時に児童相談所へ自分で相談に行くべきでした。

そうすれば、もう少し早く子供の障害に気づけたかもしれません。

児童相談所は、虐待の通報を受けて保護する専門の施設ではありません。

子育てで悩んでいる場合、どこに相談していいかわからない場合、児童相談所へ電話をして約束を取り付けてから相談に行くと、親身になって話を聞いてくれると思います。

そしてそれが虐待防止とつながっていくと思います。

実際に、私は児童相談所に自分で通報をしました。子供の体も大きくなり、癇癪が止まらず、何を言っても手をあげても、止まることなく泣き続け、わめき続けて、

私の頭の中がもう限界でした。これ以上泣かれたら何をするかわからない。包丁持ち出すかもしれない。

そんな思いを踏み留めるために、児童相談所に自分で電話をしました。

幸い地区の担当の人がいたため、すぐに家に訪問に来てくれました。その頃にはかんしゃくもおさまっていた子供でしたが、今でも定期的に家庭訪問を受けています。

それが私にとっては、救いであり、子供に手を挙げることに対してのストッパーになっています。

そして最後になりましたが、虐待のニュースが絶えないのは、虐待する側の大人に何か障害がある場合や、される側の子供に何か障害がある場合がとても多いように感じます。

虐待は、いけないことだとわかっていても、障害がある場合はどうしても止められないことがあります。そういった場合はとにかく第三者に相談することがとても大切です。

 

 

 

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