我が子は女の子です。
誰にでも覚えてもらえるかわいい子に。という思いもつけてありふれた名前の子供です。
出生前の健診で「子供が大きくなりすぎているから、出産が大変だ」
と、何度も念押しをされていたくらいに、8か月くらいですでに3,000gはあるのでは!?
と言われていましたが、生まれてみれば2,700gのほっそりとした女の子でした。
出産後すぐに隔離
出産後は、母体のホルモンのバランスを整えたり、子宮の収縮を早めるためにも
「カンガルーケア」と呼ばれるような、母体の胸の上に赤ちゃんを乗せて・・・。
ということを想像していましたが、出産直後から周りがあわただしくなりました。
分娩室に鳴り響くエラー音
運び込まれる原始的な血圧計
何が起きたかわかりませんが、赤ちゃんを「ほぉら♪」と抱っこされて面会しただけで
「泣き声が触りますので、赤ちゃん部屋から出しますね」
と、自分が生んだ赤ちゃんの顔をまともに見ないまま、私は一人寂しく分娩室に残されてしまいました。
そして、医師が戻ってくると、
「妊娠高血圧症により、血圧が測定不能になっているのでここで一晩絶対安静で過ごしてください」
話しによれば、その兆候はかなり前の健診から見られていたそうですが、医師からは伏せられていました。
私には、思い当たりがありました。元旦那のDVがひどく、健診もわざわざ仕事を休んでついてくる。
そして、妊婦には運転させない。実質の外出禁止です。
常に、旦那の見張りの中にいて、そこから外れると暴力や暴言が飛び交いました。
臨月に入っても、前駆陣痛で眠れない中「いつ、このベッドから逃げ出そうか・・・」
そんなことばかり考えていました。それがかなりのストレスとなり病気の一因となったのでしょう。
病院からの退院
病気の治療もあり、通常の出産よりも長く入院し、退院しましたが、やはり監視と暴力・暴言の日々はやまず
ストレスから母乳も出ない日々でした。そのため、混合栄養で育てましたが
時間になるとミルクを欲しがり
泣き方でおむつ交換がわかり
時間になるとお昼寝して30分すると起きる
夜も決まった時間に寝て、決まった時間に授乳
本当に生活リズムが分かりやすく、「とても育てやすい」と思いました。
そんな感じで1歳半まで来ましたが、外出中にいきなりの発作。
何が起きたかわかりませんでしたが、救急搬送の病院でも検査は詳しくされず
幼児によくある無熱性けいれん
成長すればおさまる。という診断でしたが、朝一定の時間、起床後30分が一番危ないことに気付きました。
そして、ついに未満児保育のため園に送った先で、一番大きな発作が起き、担当医は退職していたために
違う小児科医の担当で精密検査が行われました。
神経系の先生であったことが救いでした。
病名をつけるならば「てんかん」です。ただ、成長と共におさまるでしょう。
ということで、やっと予防薬を処方されることになり安心した毎日を過ごすことができるようになりました。
その後発作が起きることもなく、今に至っていますが、年1回の脳波検査では、寝入りか起床時にやはり怪しい脳波が出るらしく
まだ薬をやめることはできません。
3歳で気づいたこと
未満児保育で2歳から保育園にいましたが、体の成長は遺伝もありとても早く
同い年の中では身長も体重も群を抜いて大きかったのですが、3歳となり他のお友達が入園してくると違和感を感じるようになりました。
帰り際、お友達数人で「あそこで遊ぼう」と一斉に走って向かうのですが、我が子だけ逆方向へ走ることがよくありました。
そして、言葉もいつまでも「赤ちゃん言葉」というか、
発音が明瞭にならない
単語3語くらいで会話にならない
話しが飛躍する
最後に聞いたことしか実行しない
など、気になる点がいくつもありましたが、市の発達健診などで引っ掛かることはありませんでした。
そして、小学生に話しは変わります。
入学時の健診でも何事もなく、普通級への入学が決まりました。
小学生で気になること
小学校に入ると、気になることは色々出てきます。
元々ですが、とりとめのない主語も結論もない話しが永遠に続く
ノートのマス目に文字を入れられない
簡単な計算がどうやってもできない
忘れ物が多すぎる
着衣の乱れを気にしない
季節感のない服装を好む
とにかく、他の子と大きく差が出始めたのが2年の頃でした。
それから、3年で黒板が写せないことなどから、担任によるいじめがあり、登校拒否になりそうになった時に
私が心療内科の待合で見つけた本がこれでした。
女の子の発達障害 思春期の心と行動の変化に気づいてサポートする本 [ 宮尾 益知 ]
もう、この本をほんの数ページ見ただけで、目からうろこ
肩の荷がすっと下りたのを覚えています。
世の中に言える「発達障害の基準」は男の子であり、女の子はその基準に当てはまらない。
というのも、発達障害は圧倒的に男の子が多いということと、最初に研究対象となったのが男の子だったようです。
この本に出会ったことで、肩の荷が下り「心の発達相談」を受ける決心がつきました。
そして、診断がくだったことにより、家族全員に我が子の障害について理解を求める冊子を作りました。
http://sakuramochi.life/family/tanin/