長引く休校措置に、学校が用意した宿題を取りに行くといきなり面談に。

長引く「外出自粛」そのため、学校も【休校措置】がどんどん長引いています。

3月の初めから、どんどん伸び今のところ、5月の連休明けになっています。

それで学校が始まればいいのですが・・・。

そこで、学校も緊急措置として、「宿題プリント配布」を行いました。

指定した日に、親が学校へ取りに行くのですが、昨日言ってきました。

 

 

今年から支援級

我が子は今年から、学力の遅れを自分で自覚し希望して「支援級」に編入しました。

なので、支援級と普通級を行ったり来たりの学校生活が始まるはずでしたが

まだ、何も始まっていません。休校が終わらないとどんな学校生活になるのか全く分かりません。

 

そして、春と言えば教諭たちの異動の時期。

子どもの事を理解してくれていた先生がすべて異動、または退職になってしまいました・・・( ノД`)シクシク…

しかし、ふたを開けてみたら学習主任の先生は退職でしたが、嘱託で戻って来てくれていました。

そして、支援級で今まで関りはありませんでしたが、「発達障害」の診断を受けてから時々話しを聞いてもらっていた

支援級の先生も担任ではありませんが、残ってくれていました。

残念ながら、WISCの結果を一緒に聞いた教頭は異動となりいません。

そして、子どもが心のよりどころとして1年からお世話になっていた、保健の先生も移動となりました。

 

宿題をもらう

長期にわたる休校なので、夏休みぐらいのプリントを想像していましたが、

おそらく、3月全学年の単位がすべて終わらないうちに進級してしまったので、

プリントも限られた範囲でしか作れなかったのでしょう。

数枚のプリントでした。そして、プリントをもらって帰ろうとすると

「お母さん、せっかくだから話ししていきませんか?」

 

と、言われるままについていくと、すでに部屋は暖房で温め用意されていました。

実は、その数時間前に市役所の家庭訪問があり、その後学校へ寄る。と話しをしていたので

私の来航時間が伝わっていて、「話しをする場所」がすでに設けられていたのです。

目の前には支援級の担任、横には支援級の学習支援コーディネーター。

斜め前には学習主任の先生、そして隣の男性教諭は担任!?と思っていましたが

最後に「教頭」だとわかりました(;^_^A

子どもが入学してから、教頭はいつも女性だったので少しびっくりしました。

 

話し合ったこと

まだ学校がいつ始まるのか不透明な中、何を話せばいいのかわかりませんでしたが

とりあえず、子どもが不安に思っていること。

子どもの日常などを話してみました。

しかし、支援級の子供たちも似たり寄ったりなので、気にすることはないと言ってくださいました。

 

あと、昨年から「ランドセルの軽量化」を目的に始まった【置き勉】

ちょっと前なら絶対に許されませんが、教科書やノートを学校に置いていく措置をすることで

ランドセルを軽くして登校する。ということです。これもモンペの意見を取り入れたのでしょうか!?

理由の一つに

低学年時、まだ体も小さいのに、重いランドセルではかわいそう。

という意見があったそうです。そんなことを言えば、自分たちの小学生時代は・・・!?

この【置き勉】がかなり、子どもが混乱していることも伝えました。

要るものを置いてきて、いらないの物を持ってくる。

最後に、新しい校長に挨拶をして帰ってきましたが・・・。

まさかの4対1の面談に驚き、そしてぐったり疲れました。

 

 

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